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27 novembre 2005

人権

その昔、人権は王家や貴族などの特権階級のものだった。
時代は下り、今では、人間であれば、思想、肌の色、背格好に関わらず同等の権利を持っていることになっている。
さすがに、鯨が頭がいいから食べるのはおかしいと言っているひとたちも、
頭がいいから人権をとは言い出さないわけである。

さて、次の人権の拡大が必要になるタイミングはいつか。
考えられるの対象は2つ。
地球外の知的生命体と、高度な人工知能だ。

相手がこっちと対等かと思ってくれるかは別として、
友好的な関係を気づくには、「いきなり殺さない」、「食べたりしない」という
基本的なルールに準拠する必要がある。
全ての人類に人権があるからこそ、全ての人類は中国人に食べられない権利を持っていると言える(笑)。
友好関係にしても、否にしてもとにかく、知的な宇宙の生命体に関しては、
人間と同等の権利を持っていなくてはならない。

さて、難しいのが人工知能(AI)。
人間と同じように気分や感情、曖昧性を持ったAIができたとする。
しかし、AIに人権を与えたくない人はこう言うだろう。
「いや、それはプログラムの賜物にすぎず、リセットして同じ入力を与えれば、
同じ結果になるだろう。不規則な変化は乱数によるものだ。」

人間がどういうAIなら人権を認めざるを得ないかを考えると、
人間の生理機能をエミュレーションしたことによる思考や感情を持ったAI。
シミュレーションはモデルを作って「似たような」動きをさせること、
エミュレーションは実際のものと同じ仕組みのものを動かすことと思ってもらっていい。
完全に人間と同じ原理による応答を否定することは自分の事を否定することだからきっとできない。

そういうものが実現したらいよいよ、機械にも人権が(?)
まぁ、とはいえ、始めはそれが本当に完全に人間と同じ原理かどうかでもめると思うけど。

変なことを考えただけで意味はない。

以前書きかけのまま放置されてたエントリーを加筆して書き上げた。

Posted by Sota at 2h31 in ヒビノキロク | Comments (0) | TrackBack

25 novembre 2005

甘い!

一つ前の記事、「そーゆー人ではないのだけれど...」の内容が、
一般の人にどう受け止められるかはまったく想像の外にあるけれど、
取り敢えず、言えることは、甘い。
甘い! まだまだ、甘い。

あんまり冴えない発言を世の中の見えるところにさらしておくのは個人的には心外だけれど、
冗長で品質が高くないデータの集合体がインターネットの世界だとおもうので、
一応、消さずに残しておく。

さて、「戦慄」を感じることってありますか?
ここでいう戦慄とは「自分の尺度では計り知れないものの一端に触れて恐れおののく様子」
と思ってもらえればいい。またまた甘いと言われてしまうかもしれないけれど、今戦慄を感じている。

まえまえから、気になっていた浦沢直樹+手塚治虫のプルートウを買ってきた。

まぁ、「あんなのつまらないよ」という人がいてもいいのだが、
取り敢えず、この漫画のオーラは俺に戦慄を感じさせるのに十分だった。
単に普段あまり漫画を読んでいないから、「漫画」というものに反応しただけかもしれないけれど。
お恥ずかしながら真面目に浦沢直樹の漫画を読むのは初めて。

手塚治虫の漫画も、人並み程度にブラックジャック、火の鳥、三ツ目がとおるくらいしか読んでいない。
手塚治虫の漫画を読むと、あの人が如何に偉大な人だったかが分かる。
分かると言うほど分かっているとは言えないけど、「すごさ」というものは感じる。
是非とも元の方も読みたいと思っております。

Posted by Sota at 0h01 in ヒビノキロク | Comments (0) | TrackBack

24 novembre 2005

そーゆー人ではないのだけれど...

日本という国が西洋世界から見ても、特異な文化を持っていると思う。
日本人だからそう思うのではなく、客観的に看てもそうだと日本人の俺は思う。

日本の文化がuniqueなのには幾つか原因があると思う。
pre-modern(近現代以前)の日本の文化の独自性は
中韓、中東、そしてヨーロッパの文化が流入して独自の「発酵」をしてきたこと。
それには、島国という特性と、自然の影響もあると思う。
海が適度な防壁となって、内部の文化の発酵を促したのだと思う。

で、modern(というか戦後)以降の日本の独自性は、
これまでの価値観の喪失と、神の不在。

ニーチェは「ツラトゥストラはかく語りき」でツラトゥストラに「神は死んだ」と言わせ、
西洋社会においての神が不在となったということを語った。
ところが、緩やかな(そして、多神教的な)宗教観を持つ日本にはもとから、
絶対神としての神“the God”は存在しない。
そして、戦後、戦争への反省から、明治以降大戦以前の価値観を全否定することになった。

拠り所を失った日本人は、度合いだけで言えばアメリカ人と同様に病んでいる。
そういうわけで、孤独な生き方、病んだ社会の描写は日本人が得意な気がする。

(読んでもいないのにこんなことを言うのはとんでもないが)村上春樹なんかが
世界的に受け入れられているのはそういう独自性からなのではないかと思う。

日本が世界に発信している文化というのは孤高のものばかり。
例えば、アニメーション。(さらに、実はこっちも読んでも見てもいないのだけれど)
AKIRAなんかもそういう病んだ不健康な世界を描いている点が日本的。
(宮崎駿夫作品はそういう意味では昔のDisney的な要素が強いかも)

エヴァンゲリオンなんかは、病んだ子供の精神についてを描いているし
(勿論、意味不明系ロボットアニメ、秋葉系、マニア系アニメとしての側面も否定できないが)
攻殻機動隊なんかは、テクノロジーが人間に及ぼす影響なんかも描き出していると思う。
(そこが本題か、そこが評価のポイントかは別としてね。)

というわけで、近代の日本文化のMile Stoneとして、
Akira、攻殻機動隊、エヴァンゲリオンなんかは、好むと好まざるに関わらず、
触れておく価値はあると思う。
手塚治虫とか宮崎駿夫の病んでいない日本人の悩みにも触れておく必要は大!

まぁ、何が言いたいかまとまっていないけど、強引に結論を導くと
普段の自分の範疇かどうかは別として、「古典」、“Classical”と分類されるものは、
一応知っておくくらいのことは必要だよということ。これぞ、教養。

俺の「教養」というコトバの定義は、
直接生きるのには必要ないけれど、あることで生きることが楽しくなったり、
打ちのめされたときに支えになったりするものだと思う。
まぁ、だから、最終的には「教養」は生きるのに必要なんだけどね。

キモイことを書きすぎました。
最後まで真面目に読んだ人、忍耐力があるか暇かのどちらかです。

話が広がりすぎて、本題から逸脱しているから「続き」に書くと...

Sonyの作るものなんかもまさにそれ。
冷蔵庫と洗濯機は生きるのに必要だけど、Walkmanは不要。
そういう、動物的には無駄だけど、人がひとであるために必要なものを作る会社であるところも、
俺が惹かれる原因の一つかな。

そして、話はさらにかわるけど、
真っ当な人というのは、公の場で神の話や天皇の話(ある意味神?!)やら、
右や左だの政治的な話だのをしないものです。
というわけで、こんなことをblogに書くような人はろくな人じゃないので、
リアルな世界で付き合いのある人は要注意。

Posted by Sota at 1h13 in ヒビノキロク | Comments (0) | TrackBack

23 novembre 2005

Let's Blog!

ブログをしませんか?
まぁ、人に読ませるようなことを書けるとも、書きたいとも思わない、
日記は読まれちゃ困るとかいろいろ思うことはあると思うけど、
取り敢えず、ブログを立ててみよう。

プロバイダでいうと、So-net blog, CoCologをはじめ無料でブログを立てられるところもあるし、
Google系のBloggerなどのサービスもある。

ブログを立てて何が楽しいか。
まず、リアルな付き合いでも話のネタにできる。
そして、日頃、思っていることを活字にすることで自分の思考を整理、記録することができる。
さらに、他人に読まれているかもしれないということで、続けられるというのも、
無精な俺にはメリット。実際にはそこまで読んでいる人はいないはずだけどね。

うちのサイトにはそんなにないけど、コメントやトラックバックも面白い。

さぁ、だれか、ブログを立てよう!
そして、教えてねん。

トラックバックしてみた。

Posted by Sota at 3h02 in ヒビノキロク | Comments (3) | TrackBack

22 novembre 2005

Greate Day It was.

今日は、うちに7人も集まって、飲みました。
最近あちこちにいった人の写真をテレビに映したりして。

まぁ、俺以外の人からすると、自分のことばっかりという感じだったのかもしれないけど、
いろんな写真が見られたりして、取り敢えず、俺は楽しかったです。
とはいえ、もう少し、人の話を遮らずに聞かなければとは思ったけれど。

うちの家族はみんな、他人がしゃべっていても気にせず話す人ばかりだったので、
礼儀正しい、人がしゃべっているとちゃんと聞いてしまう、真っ当なひとには若干、
若干、威圧的だったかも。もっと協調性を学ばなければとは思う。

望むと望まざる、好む好まざるを別として、
あと1年と少しを経ると、簡単には集まったりできないかもしれない。
今のうちに、いろいろと、親交を深めておきたいかも。
どうなんだろうね。

前々から、人脈は重要だとは思っているのだけれど、
やっぱり、日頃普通に会える人に関しても、
今後普通には会えないようになったときのことを考えた方がいいのかも。

俺個人として大したことをしていない以上、
多少は持っている人的なコネクションが俺の唯一の財産と思うので、
是非とも大事にしておかないと。

いよいよ、4年目に突入のバイト(外資系)のポリシーの一つに、
多様性を大事にするというのがある。
世界の多様性や、人の考えの大切にするといううことは重要だよ、ということ。

自分の考えを刷新、攪拌されるだけでもひじょーに、意味がある。
ほかにもバイトからは多くのことを学んだけれどね。
いろんなキャラクター、いろんな考え方、いろんなやり方をもった人たちとの
コネクションは形はないけれど大切な財産。

ついつい独りよがりになってしまうのを避けるためにも、
いろんな価値観で、物事を多面的に捉えられるような感性を失わないようにしたいものだ。

Posted by Sota at 0h56 in ヒビノキロク | Comments (3) | TrackBack

20 novembre 2005

Walkman again.

長らくWalkmanを使っていたが、ここ最近少し浮気をしていた。
 
携帯音楽機器の系譜としては...
ラジオチューナー内蔵のカセットテープのWalkman、
MD Walkman, MD Walkman,
Network Walkman NW-E7, Network Walkman NW-MS90D,

iPod !

そして、Walkman NW-A608

Walkmanが目玉にしているConnect Player。
どうやら、MP3のIDタグはUnicodeのものも読み込みできるようであるが、
そもそもの使い勝手はあと一歩。
低くない頻度でアプリが落ちたり、難解な挙動をしたりもした。

評価すべきは、一時期個々のユーザーが登録しなくては使うことができなかった、
CDDBのデータベースが再び利用できるようになったこと。
ただし、Powerd by ...とCDDBの会社の広告(?)が画面に時折登場する。

昔使っていたATRACのデータは訳あって消してしまったので、
現在Walkman向きなデータは皆無。
そんなこともあって、取り敢えず現段階で言えるビックリな事件といえば、
充電が2時間以下で完了したこと。
元から、ある程度電池は入っていたようではあるけれど、なかなかすごい。

充電の保ちも良さそうな予感がするし。
やっぱり、ちっこいのがいいね。

Posted by Sota at 3h20 in SONY | Comments (0) | TrackBack

15 novembre 2005

秋の京都

今回の京都旅。
国内でいくなら京都かなという程度の思いつきだったけれど、かなり大正解。

旅の収穫はいろいろあるけれど、
今回は純粋に「旅」というところにフォーカスを合わせてのお話をしようかと。

で、その観点で簡単に今回の旅の流れを記録すると...
(特によかったところを<strong>タグで挟んである。Macでは強調がわかりにくい...)

11/11 伊丹[飛行機]→新大阪[バス]→京都[新幹線]→宿[TAXI]→飯・銭湯[徒歩]

11/12 国立京都博物館[徒歩]→三十三間堂[徒歩]→清水寺+昼+デザート[徒歩]→銀閣寺[バス]
→哲学の道[徒歩]→神社[徒歩]→神社[徒歩]→永観堂[徒歩]→3条で晩飯[バス]→宿[徒歩]

11/13 銭湯[徒歩]→ぶらぶら[徒歩]→金閣寺[バス]→圓光寺[徒歩]→3条[バス]
→宿[徒歩]→晩飯[徒歩]→銭湯[徒歩]→将軍塚[TAXI]→宿[TAXI]

11/14 京都駅[TAXI]→朝食[徒歩]→レンタルサイクル店[徒歩]→二条城[自転車]
→御所[自転車]→龍安寺[自転車]→レンタルサイクル店[自転車]→
大阪駅[東海道線]→関西国際空港[バス]→家[飛行機, 列車, 徒歩]

京都で感じたこと、考えたこと、話したことを忘れずに日々精進したいと思う今日この頃です。
さーて、次はどこへ行こうかな。

Posted by Sota at 14h56 in Kyoto 2005 | Comments (0) | TrackBack

11 novembre 2005

Without IT.

今回の旅に持って行かないもの。

それは... iBook。
台湾の時にも持って行っていないのだけれどね。

まぁ、そもそも旅にコンピューターが必要かというと必ずしもそうではないのだけれど、
日頃かなり使っているものがないとそれはそれで不便。

Without ITとかいいながら、デジカメ、iPod、携帯電話。
一昔前で考えれば十分ITかな。

そうそう、で、行き先は京都です。
飛行機で伊丹に入って、何かで京都、帰りは関空周りで帰ってきます。

Posted by Sota at 10h49 in Kyoto 2005 | Comments (0) | TrackBack

To the orgin

文化といえるレベルの日本の源流は間違いなく関西、というか近畿。
一般の人の源流はそうではないにしても、多くの文化、
日本に影響を与えた場所として京都がある。

修学旅行で京都に行ったものの、ガキに京都の良さは分かるまい。
今なら分かる良さがあるのではと期待して、明日京都に旅立ちます。
JR東海のCMに踊らされて、まんまと新幹線で上洛したいところですが、
今回は風情のない鉄の塊で向かいます。
うまくすれば、伊丹から京都は新幹線かも。

気の合う仲間との旅行とは楽しみです。

Posted by Sota at 0h03 in Kyoto 2005 | Comments (1) | TrackBack

7 novembre 2005

Parisにて

どうやら、パリでの暴動がフランス全土に広がっているらしい。

フランスに住んだことがあるわけでも、
フランス語ができるわけでも、ないけれど、あの美しくこじゃれた街で
暴動が起きているというのは極めて残念だ。
一度でも訪れた場所は愛着もあるし、イメージも湧く。
そんなわけでとても残念に感じる。

ただ、フランス人は政府や公権力を懐疑的に見守っているとのことなので、
それが本当だとすると、政府が軍を投入したり大規模に鎮圧活動をできないのもわからないでもない。
国民は事態の沈静化を望んではいるが、政府がやりすぎれば、反対に政府がやり玉に挙がってしまう。
フランス政府はなかなか難しいハンドリングを迫られているのだと思う。
さすが、革命の国。緊張した国民と政府の関係。

まぁ、なにはともあれ、早く落ち着いてくれるといいな。

Posted by Sota at 0h02 in ヒビノキロク | Comments (0) | TrackBack

4 novembre 2005

草枕

漱石の草枕。
実は一度も最後まで読み通したことはないのだけれど、
最近冒頭の部分の言わんとしていることを思い描けるようになった。

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。
二十五年にして明暗は表裏のごとく、
日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。
三十の今日はこう思うている。—— 喜びの深きとき憂いよいよ深く、
楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。
片づけようとすれば世が立たぬ。
金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。
恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。
うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。
存分食えばあとが不愉快だ。

有名な本当の冒頭文は、

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

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3 novembre 2005

Javaにふれる

すんごい、今更ながら最近少しJavaってる。

4年くらい前に、Javaに手を付けたことはあるのだが、
いちいちオブジェクトがめんどうくさいという印象と、
Javaを使う必要が余りなかったという事情により長らく放置。

そうこうしているうちに世の中はすっかりJavaらしい。
最近ちょっと機会があって、再びJavaを書いてみた。
まぁ、ライティングスタイルはC/C++に近いので、
アルゴリズム的書き方には特に違和感がないのだが、
言語仕様やどんなライブラリがあるのかが分かっていないから結構大変。

そんなこんなを乗り越えて、なんとかしょぼしょぼクラスを書き終えた。
そして、感動はここで。

Javaだから当たり前じゃんといわれたらそれまでなのだけれど、
Windows上のJavaでコンパイルしたクラスファイルが、
Mac上のJavaでそのまま動く。
Write Once, Run Everywhereを初めて体感してちょっと感動。

クラスタリングにしても、何にしても、Virtualizationが盛ん。
論理的に同一と見なせるプラットフォームを構築する理由が何となく分かったかな。

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Untitled

No Click, No Life.

Posted by Sota at 0h30 in モノドモノハナシ | Comments (0) | TrackBack

2 novembre 2005

Sony型番講座

デジカメのことを書いたら型番のことも書いてみようかと思ったので...。
(ちなみに根拠とかはなく俺の実感としての話なので信憑性は低い)

昔はSonyの型番を見れば商品が浮かんだものだったが、最近はそこまでではない。
TRがトランジスタラジオと、Handycam®共通の接頭語だとかってのはいいとして...。
(TRはTransister RadioとTravelに依る)

さて、Sonyの型番、特に数字の部分には特徴がある。
まず、ラインナップの初代は当然1。
よくある傾向としては、1, 3, 5, 7, 9と奇数で増えていく。

1, 5のように商品が出た後で、3などが出る場合、
素人受けする改良が加えられているという点以外に置いては、
あとからでた3でさえ、5ほどは気合いが入っていないことが多い。

また、デジカメなどの傾向として、1→3→31→5の様に桁数が増えたラインナップが
挟まることがあるが、これも31は3の微妙な焼き直しであって冴えないことが多い。

9が出ている場合、Sonyはある程度そのラインナップは完成していると考えていることが多い。
5まで行かずに次が出ない商品はきわものすぎて売れなかったという可能性がある。
こんなことを考えて商品を見ると少し面白みが沸いたりする(かも)。

Posted by Sota at 2h46 in SONY | Comments (0) | TrackBack

ほう!

今日、Sonyが新しいデジカメを発表したらしい。
DSC-T9N1

まだ、(当然だけど)現物を見ていないので何とも言えないけれど、
ざっとみたところ、T9はT7の後継というよりは、
コンセプトとデザインを引き継ぐ別モデルといった感じ。というのも、本体が厚い。
光学式の手ぶれ補正が主な原因であるという気もするが、
T7は薄すぎて使いにくいといった面があったのは否めないので、そういう意味では改良か。
T7では操作ボタンが左にあるのが不評であるというのをネットで見かけたが、
その辺も改良されているよう。三脚の穴も標準穴に戻った。

Tシリーズは、常に「すこしはずれ」と「結構いい」を往復する傾向にあるので、
まぁ、こんなもんかね。レンズなどのことはともかくとすれば、T7は○。
その後に出たT5は×。T9は△と言ったところか。
スペックは勿論T9が◎。光学式手ぶれ補正は是非ほしい。

N1はコンセプトがよく分からないが、
どうやら、Pシリーズの後釜として、売れ筋、フラッグシップを目指しているのではないかと思う。
VAIOにしても何にしても、少しuniqueなモデルで牙城を築いた後、
少しフツーに行く傾向がある気がするので、これはPの形が少し珍しい世代の次ではないかと。

Posted by Sota at 2h36 in SONY | Comments (0) | TrackBack