最近、New Yorkで撮った写真を見直す機会があった。
全体の印象が薄れないうちに少し総括。(お金のことはまた今度)
まず、アメリカ。
旅行を通じてアメリカについて思ったwordは、
契約社会、機会の自由、善良な人々、思慮の浅さ。
まぁ、元からアメリカに思っていたことに強く影響されているとは思うけど、
上のうち一番感じたのは、「自由の国」であるということと、人々が皆親切だということ。
とはいっても、何処で「自由の国」さを感じたかというと、主に道で。
アメリカ全土がどうかは知らないけど、New Yorkではみんな信号無視。
無視というより、自分で渡れると思ったら道を渡る。
当然のことかもしれないけど、信号があると待ってしまったりした。
まぁ、パリもロンドンもそうだったから日本が、あるいは東京が特異点なのかもしれない。
あと、市バス。バスは全ての車両が車いす用の可動式ステップを装備。
アメリカがいわゆるバリアフリーの先進国なのは、
国民の多くが、共通のスタート地点を求める声を上げているからだろう。
日本ではみんなのゴールがそこそこ保証されている代わりに、
必ずしもいろいろな境遇のひとに機会の均等が保証されているとは思えない。
契約社会だなと思ったのは、入国審査カード。
「あなたはテロリストですか?」とか書いてある。
こんな愚問は日本人の思考なら聞かないけど、契約という観点から見ると、
嘘かホントかは別としてNoと答えた事実を重要視しているのだろう。
New Yorkという街はとてもエキサイティング。
東京にひけをとらず、あるいは東京以上に世界中の全てのものに触れることが出来る街。
英語の出来ない異邦人にはやりにくいけど、英語が(移民の英語を聞き取れるくらいに)できるなら、
とても刺激的で感化される街だった。
New York自体がアメリカの中で古い街であるだけに、
普通近代的な無味乾燥な建築物の象徴であるとされているビルが、
まだ、味がある。
中でもお気に入りは、アールデコ調のクライスラービル。
ビルなのに、かわいらしくて、古風で、エレガント。あれぞ建築。
区画自体が碁盤の目のようになっているせいか、
向きがそろっていて、シャープな印象があった。
東京の街並みの方が混沌としていた。
地面には様々な人種が混沌のうちに混ざり合っていた。
(エントロピーが低い(!?))
欧米諸国は国や国民が文化というものを見せることに
大変な労力を費やしていることがうらやましい。
どのMuseumも工夫を凝らした展示と、すばらしい収蔵品があった。
日本のMuseumはそれに比べると自己満足に近い。
宿で会った人たちも(みんな日本人だったけど...)、
旅に出なかったら決して出会うことのないような人たちばかり。
その人達のお陰で、とても楽しく過ごすことが出来ました。感謝感謝。
今回はMacを持って行ったお陰で、メモリーの容量を気にせず撮影できた。
でも、その反面、写真の良し悪しの判定を現場でしなくなった。
沢山撮れた代わりに、駄写真も多い。
似通った写真が2枚以上あると、何故取り直したかまではもう判らない。
人類は常に自分に科せられた制限を超えるように策を講じるが、
制限を超えるための力を外注に頼るようになると、
自分自身でbreak throughする力が減って仕舞うのかな。
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