今、スカパーでもののけ姫の制作秘話みたいな番組をやっている。
もののけ姫、(夢枕獏の)陰陽師、読んでないけれど源氏物語なんかで思ったことをすこし。
ちゃんとした闇があった時代に惹かれる。
台風に地震と今でも自然の力は人間の及ばないほど大きなものだけれど、
昔のひとの自然はもっと計り知れず、畏敬の念を以て接するべきものだっただろう。
源氏物語では物の怪に取り憑かれて殺されたり、陰陽師でも呪術で云々なんて話が出てくる。
そういう時代の日本の国土はきっと、もののけ姫で描かれていたような自然だったに違いない。
中東、ヨーロッパは自然が厳しく、食物もあまり取れない。
(中世の面積あたりの生産カロリー量はアジアとヨーロッパで10:1とも)
そのエリアを発祥、基盤とするイスラム教、キリスト教、ユダヤ教(50音順)は、
教義は厳しいが、守れば救われる系といえるのかもしれない。
それに比べてアジアや北南米大陸の宗教は、いわゆる多神教といえる宗教が多い。
(個人的には「宗教」ということばは唯一絶対神というニュアンスを覚えるので違和感がある)
多神教系の宗教は、八百万の神への感謝と畏れに近いと思う。
一概にはいえないし詳しくは知らないから間違いもあるかもしれないけれど、
多神教系は現世型、もしくはリニア型。唯一絶対神系は死後型な気がする。
(極めてひとくくりにしてるので、異論反論もあるでしょうがお許しを)
絶対神系は死後ひどい目に遭いたくなかったらよく生きなさいという戒め的なところがあるのに対し、
多神教は感謝や畏敬の念、諦観を感じる。
よくある文明比較にもあるように、西洋文化が自然を支配、コントロールしようとするのに対し、
東洋は自然との調和を基調としていると思う。
今や、世界にはいろいろなバックボーン、アイデンティティーを持つ人が、
あちこちにいて、それらが混ざり合っているから、
純粋に何が由来となっているかを判断するのは難しいけれども、
日本人の和を重んじるところはそういう経緯もあるのではないかと思う。
こんなこと言っていたら、どこかの森のきれいなところに行きたくなった。
とはいえ、森で野宿をしたり、トレッキングするほど体力、精神力に自信がないのが難点。
ニーチェの「神は死んだ」という言葉に象徴されるとおり、近現代、ポストモダンの時代では、
人々はもはや拠り所がなく彷徨っている状態ともいえる。
その反動で、ある宗教を極端に信じたり、異教徒を排除したりしているのだろうか。
世界の人々が互いの信仰を尊重し合いながら平和に暮らせる時代はくるのだろうか。
そういえば、2001年宇宙の旅のシリーズ、2100年だか、3001年だかでは、
もはや人類は特定の宗教を持っていないように描かれていた。
「神(God)」という言葉は古典的で下品な言葉らしい。
(代わりに(人智を超えた大いなる存在という意味の)「神」という言葉があったが忘れた。)
話は戻るが、無条件に信用できる大いなる存在を持っている人々を、
うらやましく感じることもあるが、厳しい北風の中を歩いていくのもいいかなとも。
(文中で幾つかの宗教に関しての言及がありますが、個人の少ない知識、経験に基づくもので、
それぞれの宗教、信仰を評価、否定するものではありません。
また、当面の間、布教、勧誘などによって何らかの宗教に深く帰依する意志はありませんので、
布教、勧誘に類する行動は行わないでください。)
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