ヒエラルキー hierarchie
上下階層関係に整序されたピラミッド型の秩序ないし組織。
教義ではカトリック教会の教階制を、抗議では中世ヨーロッパの封建社会の身分構成を指すが、
今日では一般に、軍隊組織や官僚制などにもいう。階統制。階層性。位階制。
(広辞苑第4版より)
世の中にはいろいろな人がいて、対人関係にもヒエラルキー、すなわち上下を求める人がいる。
(逆から見れば、向こうが普通で、こちらはいささかアナーキストか?!)
勿論、人類が皆平等で誰も偉くないし誰も卑しくないとは思ってはいない。
しかし、必要以上に上下を求める人がいると思う。
そういった人から見ると、俺はいささか反社会的なのかもしれない。
バイト先の最初の店長と世間話をしていたら、
別の人に「そのものいいは失礼、店長に」とか言われたり、
どうやら、うちの教授との会話聞いて助教授の先生は危なっかしいと感じることがあるらしい。
他にも、上の人たちへの言葉遣いがなっていないと気にしている人もいるとかいないとか。
別に、年上の人に敬意を払っていないわけではないと自分では思ってる。
businessの話の時は、口答えしたりしないし不適切な反応はしていないつもり。
privateの時は、あくまで雑談の相手としての接しているだけ。
まぁ、会社に入ったり世間に出たらそうも言ってられないのかもしれないけど、
とりあえず、大学は、さらに言えば大学の学生同士には基本的に上下はないと思っている。
そんな思想が言葉遣いだとか態度だとかに表れているのは事実で、
それが気にくわないひともいるようだ。
なんだかんだ、いろいろな気質が親譲りだなぁと思うことはあるけれど、
親譲りの気質のうち、損、世渡り下手となる可能性のあるものの1つに、
アンチヒエラルキーなところがあると思う。きっと、実社会では損をする。
あと、損だと思ってもあまりに変なことは指摘してしまうところとか。
遺伝的な親譲りではないにしても、長らく一緒に暮らしていれば考え方も移るってことで。
まっ、全部を親のせいにするのはよくないね...。
引用ついでに、「実社会」
広辞苑では、
『(美化されたり観念的に考えられたりしたのではない)現実の社会。実世間。』
同じものを、新潮社の新明解国語辞典で引くと...
『実際の社会。〔美化・様式化されたものとは違って複雑で、虚偽と欺瞞とが充満し、
毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す〕』
とさ。なんて明解で親切な辞書なんでしょう。
実社会って、厳しくない文脈では使っちゃいけない言葉のようです。
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