そーゆー人ではないのだけれど...

日本という国が西洋世界から見ても、特異な文化を持っていると思う。
日本人だからそう思うのではなく、客観的に看てもそうだと日本人の俺は思う。

日本の文化がuniqueなのには幾つか原因があると思う。
pre-modern(近現代以前)の日本の文化の独自性は
中韓、中東、そしてヨーロッパの文化が流入して独自の「発酵」をしてきたこと。
それには、島国という特性と、自然の影響もあると思う。
海が適度な防壁となって、内部の文化の発酵を促したのだと思う。

で、modern(というか戦後)以降の日本の独自性は、
これまでの価値観の喪失と、神の不在。

ニーチェは「ツラトゥストラはかく語りき」でツラトゥストラに「神は死んだ」と言わせ、
西洋社会においての神が不在となったということを語った。
ところが、緩やかな(そして、多神教的な)宗教観を持つ日本にはもとから、
絶対神としての神“the God”は存在しない。
そして、戦後、戦争への反省から、明治以降大戦以前の価値観を全否定することになった。

拠り所を失った日本人は、度合いだけで言えばアメリカ人と同様に病んでいる。
そういうわけで、孤独な生き方、病んだ社会の描写は日本人が得意な気がする。

(読んでもいないのにこんなことを言うのはとんでもないが)村上春樹なんかが
世界的に受け入れられているのはそういう独自性からなのではないかと思う。

日本が世界に発信している文化というのは孤高のものばかり。
例えば、アニメーション。(さらに、実はこっちも読んでも見てもいないのだけれど)
AKIRAなんかもそういう病んだ不健康な世界を描いている点が日本的。
(宮崎駿夫作品はそういう意味では昔のDisney的な要素が強いかも)

エヴァンゲリオンなんかは、病んだ子供の精神についてを描いているし
(勿論、意味不明系ロボットアニメ、秋葉系、マニア系アニメとしての側面も否定できないが)
攻殻機動隊なんかは、テクノロジーが人間に及ぼす影響なんかも描き出していると思う。
(そこが本題か、そこが評価のポイントかは別としてね。)

というわけで、近代の日本文化のMile Stoneとして、
Akira、攻殻機動隊、エヴァンゲリオンなんかは、好むと好まざるに関わらず、
触れておく価値はあると思う。
手塚治虫とか宮崎駿夫の病んでいない日本人の悩みにも触れておく必要は大!

まぁ、何が言いたいかまとまっていないけど、強引に結論を導くと
普段の自分の範疇かどうかは別として、「古典」、“Classical”と分類されるものは、
一応知っておくくらいのことは必要だよということ。これぞ、教養。

俺の「教養」というコトバの定義は、
直接生きるのには必要ないけれど、あることで生きることが楽しくなったり、
打ちのめされたときに支えになったりするものだと思う。
まぁ、だから、最終的には「教養」は生きるのに必要なんだけどね。

キモイことを書きすぎました。
最後まで真面目に読んだ人、忍耐力があるか暇かのどちらかです。

話が広がりすぎて、本題から逸脱しているから「続き」に書くと...

Sonyの作るものなんかもまさにそれ。
冷蔵庫と洗濯機は生きるのに必要だけど、Walkmanは不要。
そういう、動物的には無駄だけど、人がひとであるために必要なものを作る会社であるところも、
俺が惹かれる原因の一つかな。

そして、話はさらにかわるけど、
真っ当な人というのは、公の場で神の話や天皇の話(ある意味神?!)やら、
右や左だの政治的な話だのをしないものです。
というわけで、こんなことをblogに書くような人はろくな人じゃないので、
リアルな世界で付き合いのある人は要注意。