研究は、...、捗ってないねぇ。
今日も、学校に行って少しやったけれど、実際、まずいかもね。
まぁ、休みの日に学校に行くと、話してしまうことはないから集中はできるのだけれども...。
まじめにやらねば。木曜には発表だし。まずいっ!
さて、
New YorkのEmpire State Buildingに上ったときのこと、
風でコンタクトレンズを落とした女性がいた。
すると、自分も含めて、あらゆる人種(そしておそらく国籍)の人が、
薄暗い地面をなめるようにコンタクトレンズを探すではないか。
言葉も通じなくても、「コンタクトレンズを落とすと困る」ということを理解できるだけで、
こんなにも多くの人が協力して作業に当たれる。
そこで考えた。世界が平和になるためにはみんながあちこちでコンタクトレンズを落とせばよいと。
(紛争地域の人はコンタクトレンズをしていない気もするが...)
コンタクトレンズはあくまで喩えとして、
きっと多くの人が隣人を思いやればもう少し世界は平和になる。
でも、知った人が1人もいない国、民族はイメージや先入観が先行しがち。
ところが、1人でも友達がいたらどうだろう。
その国、民族を思い浮かべると、その友達が思い浮かぶだろう。
そんなわけで、世界中の人が、自分の周りに1人ずつ世界中のひとがいるようになれば平和になるかも。
(その前に混ざる過程で、不和が起きそう。)
宇宙人が襲来してきても地球は一つになれるかも。
地球が負けはしないけど手こずるくらいの宇宙人が来ればいいのに(?!)
shiba
小泉さん曰く「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」らしいので、
イラク全土、さらには世界各地に自衛隊を派遣すれば世界は平和になるはずだ。
間違いない!
Sota
そっか、じゃあ、そうしなきゃ!
って、ひどく危険思想だ。
非戦闘地域の定義が「自衛隊が活動している地域」であるとすると、非戦闘地域が戦闘がなく、さらに平和かという保証は益々遠のくね。
日本の政治家も近代民主主義60年ちかくやってるんだから、
そろそろ言葉で本質を躱すのは止めて欲しいものだ。
本音と建前や形式、言葉を重んじるのは確かに日本の文化だけれど、
西洋のやり方で政治をやるなら、西洋的に意味のある言葉を持ったぶつかり合いをして欲しいね。
ウィットと言葉遊びは違うし、エスプリとジョークも違う。