未来とは

概念的に未来は前にあるもので、自分の人生を道を進むことの様なイメージで
時間を捉えているというのが多くの人間にいえることではないだろうか。
そのイメージの中では過去とは自分の歩いてきた道ということになる。

ある小説で読んだ話だから実際にそうなのかは知らないけれど、
その小説の中の猿は、手話により人間とある程度の意志の疎通が図れることになっていた。
その猿にとって、難解であった概念の1つに時間というものがある。
野生の動物には季節(それは雨期、乾期だったり発情期だったりだけれど)の
概念は必要かもしれないけど、昨日とか、1時間後とかいう概念は必要ではないと思う。
そんな訳なのか、その猿は時間の概念を理解するのに手間取ったことになっていた。
そして、人間の時間のメタファー、未来は前、過去は後ろということも難解だということになっていた。

猿に言わせると、前にあるものは見渡せる、後ろにあるものは分からない。
つまり、人生とは後ずさりをしながら道を歩いている状態と言えるのだそうな。
そういわれてみると、過去のことはハッキリと見渡せるけれど、
未来のことは不確定で見渡しているとは言い難い状況。
どっちがいいメタファーなのかは考え方によるけれど、とにかく考え方はいろいろある。

そうはいっても、よくないもの、不快なもの、好きではないものに「くそ」を当てるのは、
生物共通の認識なのだろうか。
他の言語では知らないが、少なくとも、
英語と日本語では「くそ!」はほぼ同じニュワンスで使われている。
聞くところによると、猿も頭に来たり、嫌いな人に糞を投げつけるらしい。
これは、言語ではないにしても、「くそ!」に値するのではないだろうか。

どういった理由があるのかは知らないが、
少なくとも類人猿には「くそ」は名詞としてだけでなく、
後ろに含む意味としても共通なのかもしれない。